万葉のふるさと


 天平8年(736年)、今から1284年前に新羅国に派遣された阿倍継麻呂の遣唐使船の一行が、風早の浦に船泊まりした夜に詠んだ歌2首が『万葉集』に記されている。奈良時代、作者不詳だが、副使の大伴三中の作ともいわれる。
「わが故に妹歎くらし風早の浦の沖べに霧たなびけり」
「沖つ風いたく吹きせば吾妹子が歎の霧に飽かましものを」
  出発前の歌「君が行く海辺の宿に霧立たば吾が立ち歎く息と知りませ」という送別の歌があり、それを受けた「相聞」と考えれば一層味わい深い。
 万葉集第15巻 735年「遣新羅使の歌」に編纂されている。
 境内には、万葉の歌碑・陶壁が奉納され、地域の文化のシンボルとして親しまれている。